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説教要旨   
          説教  青堀教会牧師  吉田誠二
 
   
   2021.8.1   Ⅰヨハネ 3:1-9   「罪を取り除くために来た」 

 キリストは罪をとり除くためにこの世に現れました。
救いを求めた罪人は、キリストと共に死んで、よみがえり「義人」に生まれ変わりました。 その自己認識を握る人が救われた人です。
 義人という自己認識を持つと、義人らしい道を選ぶようになります。
罪人だという自己認識は、罪に引っ張られます。どうせ自分はだめだと思う人は、だめな道を選ぶものです。しかし、そうではありません。
 私たちは、キリストが内に生きているのです。義人は、御霊に導かれます。御霊は良い実を結ばせます。
 6節には、「罪を犯さなくなる」。 9節には、「神から生れた者は、罪を犯すことができない」と、あります。
 これは継続的に同じ罪を続けることはないという意味です。 神の種は、聖霊、みことばのことで、内に力を与え、良い実を実らせるということです。 しかし、ヨハネは、1:8で 「もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない」と言っていて、何か矛盾しているように思えてしまいます。 それに整合性を与えるのが、ここです。
 ヨハネ 13:10「すでに体を洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。」
・・・体を洗った者=洗礼(救い)を受けた者。イエスを信じた者は、罪から解放されているのですが、時々失敗はするから、足を洗いなさい。悔い改めなさいと言っているのです。 たまには、失敗はするということと、もう罪は継続的に犯さないと言っているのは一致しています。 
 十字架による聖めと悔い改めて、さらに弱いところに聖めを受けるのは、すべて、神の恵みのわざです。 キリストは罪を取り除いて、私たちをキリストと似たものとなるようにしてくれたのです。

 
     

    2021.7.25    ローマ 7:1-6  「律法からの解放」 

 言動は心の中にあるものが出て来るのです(マタイ15:19、マタイ12:34)
罪人が正しく生きるには律法が必要だったのです。 
ある夫婦がいて、夫は厳格な「律法さん」、妻に完全を求め、お小言を言って来ます。愛はあっても、条件付きで、規則で締め付け、出来なかったら、罰を与えます。そして、とうとう言うのです、「あなたには生きる価値がない」。この律法さんは元気で滅びません(マタイ5:17、18)。

妻は、キリストの元に行き、キリストは「あなたには生きる価値がある」と、ありのままを受け入れ、無条件の愛を与えてくれました。時が来て、律法の代わりに福音が与えられました。

 キリストは、新しい命を与えるために、十字架について、死にました。復活したキリストは言います 「あの十字架を見なさい。十字架で古い人は死んだ。肉は情と欲と共に十字架で滅んだ。今は、新しい命を与えられた」。

 新しい命は、「聖霊の命」で、豊かな愛をあふれ出させます。 御霊の人は愛の人、御霊の実は愛、聖霊は、豊かな愛を注ぎ(ロマ5:5)、愛の実を人に結ばせます(Ⅰコリント13:4~8)。
 この与えられた愛が律法を全うし、この愛が律法を完成します(ロマ13:8、13:10)。 御霊の人は、義人として生まれ変わり、新しくなった人です。

 義人に律法はいりません。律法は罪人に与えられたものだからです(Ⅰテモテ1:9)。
 「義人は、信仰によって生きる」(ヘブル10:38)これを解釈する時に、義人になれるように努力しようと言うでしょうか。
それとも、キリストが私を義人に造り変えてくれて、義人になったのだから、私は良いことが出来ると信じて歩むのでしょうか。 
 義人にされたと、信じて歩みましょう。その時聖霊が豊かに働き信仰に応えてくれるのです。 十字架によって、裁きから解放され、罪からも解放され、律法からも解放されたのです(ローマ7:6)。




 

 
      
   (今回は、録音がうまく出来ませんでした。失礼しました)

  2021.7.18  ガラテヤ 5:22-6:2    「御霊の人」


  ・・生まれながらの性質(肉)は、聖霊の性質と正反対で、邪魔をします。

 「あなたの肉(肉的性質)は、その情と欲と共に十字架につけてしまいました。」 ガラテヤ5:24



 十字架を信じて罪の赦しを受ける時、色々悩み、聖書の理屈、救いの教理を教えられ、それが真実なのかどうか自分でも調べて、試行錯誤と葛藤の後に信仰を持ちます。 最後は心で信じて受け取ります。
 そしてさらに、十字架でキリストだけが死んでよみがえったのではなく、私たちも死んでよみがえったというのです。

 生まれたままの人間は、罪(肉の働き)をもって生まれて来ます。この肉の働きはどう頑張っても消すことが出来ません。 そのために十字架で私たちは霊的に死に、霊的によみがえったのです。 変わったのは肉の性質を持った命が終わり、新しい聖霊の命が与えられたのです。

 悩みの種であった肉、不幸の元であった肉が、処理されたと、十字架の奥深さに感謝して、受け取る人(信じる人)に、罪からの解放が与えられます。(ガラテヤ5:24) 信じるならば、肉の働き(罪の元、罪の泉)は消え、聖い命の泉が湧き出ます。信じないならば、肉は消えません。ここが大事なのです。

 罪からの解放も十字架のみわざであるため、良く理解して、聖書にあることを、信じて受け取るのです。これが「罪からの解放」です。
 信じた人の心は、新しくされ、生きながら生まれ変わります。 人間の努力でできる実は、酸っぱい実でした。そのため、私たちにも十字架の死と復活が必要でした。 信じたのにまだ罪が生きていると思う人は、その教理を良く理解していないからです(ローマ7:24)。 罪人の頭であったサウロは、キリストを信じて死に、キリスト共にパウロとして新生しました。

 私はキリストと共に十字架につけられた。キリストが生きている(ガラテヤ2:20) 十字架で新しくされると、良い実を結ぶことが自然に出来るようになります。 御霊が良い実を結ばせてくれるのです。全てキリストの栄光です。




  しかし、どうも、死んだ気がしない  ・・・・    感覚ではなく、 聖書の言葉

 あなたはもう、罪人から解放されて、御霊の人になっているのです。